フランス語とフランスの勉強!

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2010年10月18日

ジャンヌ・ダルク(1412-1431)

ジャンヌ・ダルクがフランス史を代表する人物のひとりであることは疑いありません。彼女の一生は短かったにも関わらず、国民感情の象徴として用いられるほど深くフランス人の精神に影響を与えました。 

歴史的背景

 ジャンヌ・ダルクは100年戦争(1337-1453)のさなかに生まれました。この戦争でフランスはイギリス・ブルゴーニュ同盟と対立することになりま した。フランス北部、東部と南西部の一部はイギリス王とその連合軍の支配下にあり、パリまでもがイギリス軍に占領されていました。のちに王となるシャルル 7世(1403-1461)は、ジャンヌ・ダルクがシノン(Chinon)の町で生まれたときにはまだ即位していませんでした。
100年戦争の原因としては2つのことが挙げられます。ひとつはイギリス王がフランス王位継承権を求めたこと、もうひとつは羊毛の取引のためフランドル地 方の町を支配しようとしたことです。1412年、軍配はイギリス側に上がっており、戦況を覆すことは不可能かに見えました。

国民的英雄の誕生

ジャンヌ・ダルクは1412年1月6日、ロレーヌ地方のドンレミ(Domrémy)で生まれました。兄弟は兄が3人、姉 が1人でした。ドンレミはロレーヌ公国領内にあった小さな村です。ジャンヌ・ダルクが神の声を聞いたのは13歳の時でした。その声は彼女に敬虔な信徒と なってフランス王国を解放し、王太子シャルルを王位につけるよう求めていました。
1428年、ジャンヌ・ダルクは王太子と合流するため村を後にし ましたが、守備隊長ロベール・ド・ボードリクールの力添えで王太子への謁見が認められたのは1年後のことでした。1429年、男物の服を身にまとったジャ ンヌ・ダルクはのちのシャルル7世の前に姿を現しました。聖職者達の審問にかけた後、王太子はジャンヌを小隊の隊長に任命しました。

ジャンヌ・ダルク隊長

最 初の手柄は1429年5月のオルレアン奪回でした。この勝利により軍と民衆の士気は俄然高まりました。オルレアン開放後、村人はジャンヌ・ダルクに“オル レアンの処女”という名をつけました。彼女はその後も数々の戦いに勝利を収め、1429年6月18日のパテの戦いにより決定的にイギリス軍を撃退すること に成功したのです。ジャンヌ・ダルクの活躍によって王太子はランス(Reims)に赴くことができ、1429年7月17日、戴冠式をおこなって正式にフラ ンス国王シャルル7世となりました。
戴冠式が済むとジャンヌは一気にパリを奪還しようとしましたが、この試みは失敗しました。シャルル7世はジャンヌにすべての攻撃を止めるだけでなく禁足ま でも命じました。これを退けてジャンヌはコンピエーニュ(Compiègne)までたどり着きますが、そこでブルゴーニュ軍に包囲されてしまいます。脱出 を試みますが、ブルゴーニュ軍に捕らえられ、身代金10000リーヴルと引き換えにイギリス軍の手に引き渡されることとなりました。

英雄の最期

ジャンヌ・ダルクは異端審問裁判のためルーアンへ送られました。裁判長を務めたのはボーヴェの司教ピエール・コションで す。裁判は1431年2月21日に始まりました。異端宣告を受けたジャンヌ・ダルクは同年5月30日、火あぶりの刑に処されました。のちにシャルル7世の 命で裁判の調査が行われ、1456年、ジャンヌ・ダルクはその名誉を回復したのでした。

ジャンヌ・ダルク伝説

ジャンヌ・ダルクは存命中もかなり有名であったと思われますが、フランスの象徴とみなされ始めたのは19世紀のことで す。1909年、ジャンヌ・ダルクはローマ教皇ピウス10世により列福され、1920年5月16日にはベネディクトゥス15世により列聖されました。当 時、ヴァティカンと政教分離政策をとっていたフランスは1904年以降国交を断絶しており、1905年12月9日に制定された教会と政府の分離に関する法 律により国と宗教の分離が確定しました。政府は国教であったカトリック教の聖職者への資金供給を止め、宗教は民間領域に属することとなったのです。このよ うな背景にもかかわらず、ジャンヌ・ダルクの列福とそれに続く列聖は両国の和解を促し、1921年5月17日に国交を再開しました。当時は第一次世界大戦 中であり、フランス国内の状況が変化していたことを考えると、このすさまじい戦争が政教分離派とカトリック教徒の対立を弱めるはたらきをしたともいえま す。
19歳の若さでこの世を去った少女ジャンヌ・ダルクは絶対的信仰をもつカトリック教徒であったにもかかわらず、政教分離国家のフランスにおいて勇気と自由と国民統合の象徴となったのでした。 

Hervé Tisserand
翻訳者:高 潤美

フランス語で: Jeanne d'Arc(フランス語).pdf